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死語ノート

社会問題
09 /23 2018
           「全共闘用語集」
次の回は全共闘の話になりますが、その当時は当たり前に使われていた言葉
が今では全く使われない「死語」化していて、若い世代の人たちには私たち
が書くこうした文章はもう古典と同じ領域なのです。またそうした言葉を集
めてみると本文では伝えきれないあの時代の空気みたいなものもかえって伝
えることが出来るのではと思い今回急遽「全共闘用語集」を書くことにしま
した。


「デモ・集会」
アジる   アジテーション(扇動)からの派生語。日大全共闘の秋田明大
      氏はアジテーターとして有名。私のイメージはマイクを片手に
      「本日ここにぃ~ 結集されたぁー学生諸君」という独特の節回
      しで演説していた。                                              大衆団交  最初の頃は当局と学生集団の公開交渉の場であったが暴走し始め
      当局の代表を軟禁したり、つるし上げたりした。
異議ナシ  賛成だという意思表示に使う。反対の時は「ナンセンス」
ジグザグデモ 体制への反発から違法である道路の両端まで使ってジグザグに                                      行進するデモ                                              フランスデモ デモ隊の横列が手を繋ぎ、道路一杯に広がり歩くデモ

シュプレヒコール デモや集会の時に意思統一のために唱える掛け声。
         「シュプレヒコール」「安保 粉砕!」と言う風に
ゲバ棒   ゲバはゲバルト(暴力)の略・角材。
      ヘルメットを被り、タオルで口元を隠し、手にはゲバ棒という
      スタイルで投石もしながら圧倒的な実力差のある機動隊に立ち向
                     かっていった。のちには火炎ビン、鉄パイプなども登場するが          バリケード 運動の一環で建物を占拠する際に敵の侵入を防ぐ目的で机や椅子                                 を高く積み上げて 作った壁
東大闘争  登録医制度に反対する医学部の学生が無期限スト(授業                                         ボイコットなど)に突入して始まり、一年余りの攻防後、安田                                         講堂の落城で終わりを告げる。                             日大闘争  国税局による調査より多額の使途不明金が発覚。これに日大生                                   の不満が爆発。「古田体制打倒」を掲げて全学部を巻き込んだ                                     大闘争に発展。全共闘運動の始まり。


「学生運動」                                      三派全学連 全学連は戦後すぐ結成されたが、60年安保の際に主流派                                   (ブント系)と反主流派(共産党系)に分裂。                                       1966年中核派・ブント・社青同解放派によって結成された組織。                            その後も各セクト(派閥)による離散集合を繰り返す                                 他にも共産党系の民青、そして革マル派などの組織があった。                                     その他の学生集団としてノンセクト・ラジカル(無党派の過激派)                            ノン・ポリ(政治に無関心な層 多数派)                    自己否定 自分の生きてきた過程をまず徹底的に否定するところから革命的                              な意識が生まれるとする考え方
自己批判 自分の思想・理論に忠実に生きるためには自分の行動・思想を                             常に吟味し反省していくという行動様式。「総括」もほぼこの                             意味だがそこに状況分析も入るか                         造反有理 「反乱することには道理がある」という毛沢東の言葉で文化                            大革命(全共闘運動に大きな影響)のスローガン                  内ゲバ  運動が先鋭化する中で各セクト間の抗争やセクト内の抗争を                               マスコミがこう名付けた。                           まだもう少しあるのですが、次回で触れることになると思いますので             今回はここまでに。
zenkyuto002[1]

                       
       
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子供の頃の思い出は

私用
09 /15 2018

時代は激動の時代へ突入していくのですが、事態は複雑な要素がからみあっていてどう上手くまとめようか。目下思案中。で今回は「戦後の子供史」として子供の視点その当時の流行や出来事を挙げてみようとおもいます。

1947年 「新宝島」(手塚治虫)や「少年王者」(山川惣治)が評判
1948年 「黄金バット」復活 流行語に「老いらくの恋」 
     流行歌「憧れのハワイ航路」
1949年 流行歌「悲しき口笛」(美空ひばり)「青い山脈」(藤山一郎)
    「少年探偵団」シリーズ復活
1950年 「ジャングル大帝」(手塚治虫)
1951年 キャラメル戦争 プロ野球人気 流行語「逆コース」
1952年 「鉄腕アトム」(手塚治虫)連載開始 
    ラジオ番組「君の名は」・「新諸国物語」
     流行語「忘却とは忘れ去ることなり」
1953年 テレビ本放送始まる 貸本屋大流行 「トニー谷」人気 
    真知子巻きブーム
    流行語「さいざんす」「むちゃくちゃでござりますがな」
1954年 映画「ゴジラ」「七人の侍」「ローマの休日」「笛吹童子」 
(小1)漫画「赤胴鈴之助」「火の鳥」三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)
1955年 子供雑誌「僕ら」「なかよし」創刊 石森章太郎「二級天使」デビュー 
     流行歌「月がとっても青いから」「別れの一本杉」
      流 行語「兵隊の位でいうと」
1956年 横山光輝「鉄人28号」連載開始 
    テレビ「チロリン村とクルミの木」「名犬リンチン」「お笑い三人組」
    流行歌「ケ・セラ・セラ」「若いお巡りさん」 流行語「太陽族」
1957年 「赤胴鈴之助」人気 ラジオドラマで吉永小百合デビュー
     ホッピング大流行 長嶋茂雄巨人入団
    流行語「なんと申しましょうか」「よろめき」「グラマー」
1958年 「月光仮面」人気沸騰 東京タワー完成 フラフープ大流行
    チキンラーメン登場 切手収集ブーム 長嶋金田に4連続三振 野球盤
    流行歌「おーい中村君」「星はなんでも知っている」
    流行語「生かす」「しびれる」「団地族」    
1959年 皇太子御成婚
    週刊少年漫画誌発売 正義のヒロー「少年ジエット」「まぼろし探偵」
   「七色仮面」 「林家三平」「大村崑」大人気
    流行歌 「黒いはなびら」「南国土佐を後にして」
        「黄色いサクランボ」
    流行語 「カミナリ族」「タフガイ」                               
1960年 ダッコちゃん大ブーム
    テレビ「白馬童子」「ララミー牧場」「ナショナルキッド」
(中1)流行歌「潮来笠」「アカシアの雨が止むとき」「月の法善寺横丁」
    流行語 「所得倍増」「私は嘘を申しません」「インスタント」
1961年 人類初の有人宇宙飛行に成功ガガーリン「地球は青かった」
    テレビ「七人の刑事」「シャボン玉ホリデー」
    映画「用心棒」、若大将シリーズ
    流行歌「上を向いて歩こう」「スーダラ節」「君恋し」
       「銀座の恋の物語」
            流行語「およびでない」「現代っ子」「巨人大鵬卵焼き」                            1962年 堀江謙一ヨットで太平洋単独横断に成功
    映画「椿三十郎」「座頭市」「キューポラのある街」
    テレビ「てなもんや三度笠」「隠密剣士」
    流行歌「可愛いベイビー」「いつでも夢を」「遠くへ行きたい」
    流行語「ハイそれまでよ」「わかちゃいるけどやめられない」
1963年 ケネディ大統領暗殺(宇宙中継成功) ボウリングブーム
(高1)映画「天国と地獄」 テレビ「三匹の侍」
    流行歌「高校3年生」「こんにちは赤ちゃん」
       「みあげてごらん夜の星を」
    流行語「カッコいい」「ハッスル」「カワイコちゃん」
1964年 第18回オリンピック東京大会開幕  
    映画 「007/ゴールドフインガー」
    テレビ 「七人の孫」「ひょこりひょうたん島」「逃亡者」
    流行歌 「愛と死をみつめて」「アンコ椿は恋の花」
        「幸せなら手をたたこう」
    流行語 「おれについてこい」「シェー」「みゆき族」
1965年 朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞
    映画「サウンド・オブようわ・ミュージック」「赤ひげ」
    テレビ「ナポレオン・ソロ」「オバケのQ太郎」「11PM」



*参考資料
昭和こども新聞(日本文芸社)
 S
*

引用


    流行歌「柔」「学生時代」「涙くんさようなら」「星娘」
    流行語「アイビールック」「しごき」「フィーリング」



















時代が人を 人が時代を

社会問題
09 /13 2018
年表で団塊の世代も高校生まで来ました・ここでまた団塊の世代のことを振り返るとその親の世代は戦前の教育を受け、生活してきたのが敗戦により考え方を180度変えなければならない、でも体には戦前の生活が染みついているその矛盾に相当戸惑ったはずです。そして子供が生まれた。自分が何もわからない民主主義なるもので子育てしなければならない。家では「フロ、メシ、ネル」と言うだけの父親、学校では戦前の學校教育を当たり前にしてきた先生が急に民主的になれるわけがありません。当然団塊の世代の私たちに大小はあれど影響を及ぼしているはずです。古い価値観を持ちながら新しもの好き性格はやっぱり団塊の世代の特徴でしょう。そして戦前の価値観を否定しなければ生きていけなかった親の遺伝子を引き継いで自分たちの世代にとっての既成の価値観を否定する性分も団塊の世代の特徴でしょう。また1955年に始まった「神武景気」から高度成長期に入っていきます。少しづつ豊かになって実感はありました。でも当時の大学進学率20%(今は55%ぐらい)です。私の例で言えば中学校卒業者30名のうち高校に進学したものが10名、大学進学者3名当時私の周りの大人の常識として「下手に大学いってムダ金使うより今働いて稼いでもらうほどいい」いう考えがありました。中学校で入学以来成績トップを守り通した女子生徒も大学に進学しませんでした。だから全共闘=団塊の世代ではないのです。だから団塊の世代の代表は全共闘ではないのです。=ちょと確認はしていないんですが私の記憶では60年安保闘争のとき、時の総理大臣岸信介氏がデモ隊が世論の代表ではない。「声なき声」(だって後楽園球場満員じゃないか)に耳を傾けると言ったとか=それと同じことがこの団塊の世代論にもあります。マスコミは華やかな絵になる部分を追い求めますから、全共闘運動などに注目しますがそれが団塊の世代を代表したものではありません。ただいろんな人たちが自分の思いや歴史を語ることで団塊の世代全体像が見えてくる。後の世代に伝えておくべきことが見えてくるのではないでしょうか。
次は高校生活なんですけどほとんど記憶に残っていません。「高校3年生」という歌が流行ったぐらいと第18回オリンピック 東京大会」があったという記憶ぐらいです。ただ人数の多さに圧倒された記憶はあります。確か一クラス54名で7クラスほどあったと思います。通学に1時間かかる山間地の小心な高校生はただ黙々と日常生活こなしていくという生活でした。それでも当時「4当/5落」と言われた受験戦争はやってきます。
年表
1963年 ケネディ大統領暗殺される
1964年 オリンピック 東京大会開催(これで一流国入りを果たしたとみなされる)
    ベトナム戦争始まる(後の学生の反戦運動の象徴になる)
1965年 日韓基本条約調印

私の歩み

社会問題
09 /11 2018

今日のランキングを見たら思った以上に上位じゃないですか。嬉しいですね
で今回は私的な話を少ししなければなりません。よろしくお付き合いねがいます。
「団塊の世代」と同義語として「全共闘世代」という言葉が用いられますが、私は厳密に区別するべきだと考えています。そのへんを私のささやかな人生の歩みから述べていきたいと思っています。
とりあえずしばらくの間は団塊の世代という言葉を使っていきます。
団塊の世代の親たちはみんな戦争を経験した世代です。だから普通の日常の生活のふとした会話の中で「空襲を受けた」時の話や兵隊時代の苦労話とか聞かされたことがあると思います。言い換えればあの戦争について感覚的にしろ、間接的にしろ体験している最後の世代だと思います。そしてあたりまえの様に「きけわだつみのこえ」などを読んだ時代を経ています。だからそのこともあの70年安保闘争にも影響していたと思っています。
閑話休題 歴史好きには良く知られている話、あの「関ヶ原の戦い」で勝った徳川家康が天下を取り、敗軍の長州や薩摩が300年の時を経て徳川幕府を倒し明治維新を成し遂げる。当初「関ヶ原の戦い」で敗れた屈辱を忘れるなという事は当然語り継がれたはずです。それが300年後に… 誤解されるといけませんから念のために言っときますけど私は復讐劇を賛美している訳ではありません。語り継ぐことの大事さを強調したいのです。
そこで本論ですが、私の出身地はあの「やまびこ学校」に表現されているような全国どこにでもあるような林業を主産業とする山間地で父は生まれ育ちました。父は人の良い寡黙な人で所謂「親子の会話」なるものをした記憶がほとんどありません。父が志願兵として満洲で陸軍のパイロットとして勤務していた事ぐらいしかありません。どこで戦闘をして、地獄のような戦場生き残ってきたのか。また戦後の混乱期をどう乗り越えてきたのか。全く聞いていません。また親子だからこそ親として
子供に自分の負の部分は見せたくなかったのかもしれません。この年齢になってみると次の世代にはこのことは是非伝えておきたいと思ったときに自分のことしか語れないのです。先人たちの思いが受け継いでない先ほどの閑話休題と逆の話になります。でもあの1970年代の事は今まで散々論じられ、語りつくされていて今更何を。
そこで思いついたのが「きけわだつみのこえ」方式。明日死ぬという事が判っている極限状況の中で将来を嘱望されたエリートの学生たちの個々の手記。初めて読んだときにその迫力に圧倒された記憶があります。あの1970年頃も社会が沸騰していた時代です。一人では何もできないけれど、一か所にそれぞれの手記を集約してみると面白い結果がでるかも…。で「隗より始めよ」という事でこのブログを立ち上げました。
それでは次に社会の動きがわかる様に私のコメントを入れながら簡単な年表を作って見ました。  
1947年 義務教育スタート・日本国憲法施行(新しい国作りの始まりです。この年に東京地裁判
    事栄養失調で死亡の記事ー法を守る立場の者がヤミ米を食べるわけにはいかないと拒否し
    たそうです。)
1949年 下山事件(国鉄総裁が轢死体で発見され、当時ストが多発しており、自殺か他殺か議論
    をよんだ事件。日本はまだまだ混乱状態が続く)
1950年 朝鮮戦争勃発(日本の敗戦からまだ5年。米ソ対立。この時日本は朝鮮戦争特需で潤い
    日本の復興の足掛かりとなったと言われる。)
1951年 対日講和条約(48か国と。  ソ連は拒否)・日米安全保障条約調印
1953年 朝鮮休戦協定(現在もまだこの休戦状態のまま)
1954年 自衛隊発足(こうした流れを見てみると自衛隊が設置された理由がよくわかります。)
    *はれて小学1年生
1955年 資料の記事では主婦に三種の神器(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)
    (私の記憶ではもう少し後であったような、日本が少し豊かなり始めました。)
1956年 日ソ国交回復(知識人から「もはや戦後ではない」と)
1957年 国際連合に加盟(ようやく国際社会に復帰)
1959年 皇太子御成婚(このときテレビで実況放送を見た記憶があります。)
1960年 安保条約反対闘争(全国で560万人参加、5000組のデモ、国会デモで樺美智子さん死
    亡。総理大臣岸信介は辞任)(この後「浅沼社会党委員長刺殺」事件も起き日本社会が騒
    然とした年でした。当時中学1年生だった私は「なんかすごいことになっているなあ」ぐ
    らいの感想しか持ちませんでした。)
1961年 ベルリンの壁 1962年キューバ危機(米ソ対立が深まり、この時は「戦争か」思うで 危    険な所まで)
    今回はここまででおわります。

拝啓 ビートたけし様

社会問題
09 /09 2018
 拝啓 ビートたけし様

今貴方の「バカ論」読み始めたところです。「同じ大学でつるむバカ」と同じ様に「俺ビートたけしと同い年なんだぜ」と言っているバカです。同い年の有名人は沢山いますが、知名度で言えばやっぱり貴方でしょう。多感な二十歳代に「全共闘運動」や「三島事件」があったあの時代の空気を肌で感じてきた世代です。聞くところによりますと、貴方もデモに参加されたことがあるとか。

そんな貴方が世間の注目を浴びたのは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の毒舌漫才でデビューするや次は「俺たちひょうきん族」で地位を不動のものにするやたちまちのうちにテレビ界を席巻し頂点を極めると次は映画界に進出、数々の話題作を世に送り出して「世界の北野」と呼ばれるまでになりながら今でも現役でバカをやっている貴方は私たちのヒーローです。感覚的にはおいおい隣の「タケちゃん」がドンドン有名になっていくじゃないかというところでしょうか。(あなたの自伝風のドラマ見ていたこともあり)そんな風に街の片隅で貴方の行動を見つめていた私たち(「五十にして天命を知る」どころかまだバカなことをしていた)もそして貴方も古希を迎えました。流石に「七十にして己の欲するところに従いて矩をこえず」は達成したいものです。高倉健さんなんかカッコイイ終わり方をしています。流石です。こういうと貴方は「俺、芸人だからね」と言いそうですが、渥美清さんなんかも素敵でした。「流石ビートたけしだ」といわれて欲しいですね。なんせ貴方は私たちのヒーローなのですから

敬具

 

団塊の世代って?

社会問題
09 /06 2018
私は1947年(昭和22年)生まれの所謂団塊の世代(作家堺屋太一の小説名)の一人です。この世代は人口が多くていろんな社会現象を引き起こしてきたと言われます。また上の世代や下の世代からはあまり良くいわれません。そんな私たちも昨年古希(70歳 古来希なる 孔子曰くその欲する所従いて矩をこえず)を迎えて人生の終盤です。我人生を振り返るのも悪くない。団塊の世代って実感として世評言われるほどでもないなと思う所もあります。私の利点は地方の山間地の生まれで中央でブームが終わりかけたころにブームが遅れてやってくる訳でどこか客観的に見ていました。
では団塊の世代を特徴は何でしょうか。私なりに今思いつくままに挙げますと「理想家」・「熱血漢」・「権威の破壊者」・「反逆者」・「理窟屋」等があげられます。当時の社会情勢そういう人たち必要とし産み出されてきたと考えています。団塊の世代を代表すると私が思っている有名人を挙げてみますと、
まず1947年生まれの有名人では星野仙一(プロ野球)・北野たけし(ビートたけし)・北方謙三(作家)・小倉智昭(アナウンサー)・根津甚八(俳優)・西田敏行(俳優)・和泉雅子(女優)・江本孟紀(プロ野球)・鳩山由紀夫(政治家)・弘兼憲史(漫画家)
1948年は井上陽水(シンガーソングライター)・糸井重里(コピーライター)・泉谷しげる(歌手)・江夏豊(プロ野球)・鈴木宗男(政治家)・田母神俊雄(元航空幕僚長)
1949年は矢沢永吉(歌手)・火野正平(俳優)・テリー伊藤(演出家)・武田鉄矢(俳優)・森田健作(俳優)・大竹まこと(タレント)・やしきたかじん(タレント)
というところででしょうか。どうですか団塊の世代のイメージが湧きましたか?あなたがこのグループの中で最も団塊の世代らしいと思う人は誰ですか。?


グッチー

昨年古希を迎えました。人生も終盤。学生時代の言葉で言えばそろそろ人生の「総括」と何か新しい自分を発見するためブログを始めました