死語ノート
社会問題
「全共闘用語集」
次の回は全共闘の話になりますが、その当時は当たり前に使われていた言葉
が今では全く使われない「死語」化していて、若い世代の人たちには私たち
が書くこうした文章はもう古典と同じ領域なのです。またそうした言葉を集
めてみると本文では伝えきれないあの時代の空気みたいなものもかえって伝
えることが出来るのではと思い今回急遽「全共闘用語集」を書くことにしま
した。
「デモ・集会」
アジる アジテーション(扇動)からの派生語。日大全共闘の秋田明大
氏はアジテーターとして有名。私のイメージはマイクを片手に
「本日ここにぃ~ 結集されたぁー学生諸君」という独特の節回
しで演説していた。 大衆団交 最初の頃は当局と学生集団の公開交渉の場であったが暴走し始め
当局の代表を軟禁したり、つるし上げたりした。
異議ナシ 賛成だという意思表示に使う。反対の時は「ナンセンス」
ジグザグデモ 体制への反発から違法である道路の両端まで使ってジグザグに 行進するデモ フランスデモ デモ隊の横列が手を繋ぎ、道路一杯に広がり歩くデモ
シュプレヒコール デモや集会の時に意思統一のために唱える掛け声。
「シュプレヒコール」「安保 粉砕!」と言う風に
ゲバ棒 ゲバはゲバルト(暴力)の略・角材。
ヘルメットを被り、タオルで口元を隠し、手にはゲバ棒という
スタイルで投石もしながら圧倒的な実力差のある機動隊に立ち向
かっていった。のちには火炎ビン、鉄パイプなども登場するが バリケード 運動の一環で建物を占拠する際に敵の侵入を防ぐ目的で机や椅子 を高く積み上げて 作った壁
東大闘争 登録医制度に反対する医学部の学生が無期限スト(授業 ボイコットなど)に突入して始まり、一年余りの攻防後、安田 講堂の落城で終わりを告げる。 日大闘争 国税局による調査より多額の使途不明金が発覚。これに日大生 の不満が爆発。「古田体制打倒」を掲げて全学部を巻き込んだ 大闘争に発展。全共闘運動の始まり。
「学生運動」 三派全学連 全学連は戦後すぐ結成されたが、60年安保の際に主流派 (ブント系)と反主流派(共産党系)に分裂。 1966年中核派・ブント・社青同解放派によって結成された組織。 その後も各セクト(派閥)による離散集合を繰り返す 他にも共産党系の民青、そして革マル派などの組織があった。 その他の学生集団としてノンセクト・ラジカル(無党派の過激派) ノン・ポリ(政治に無関心な層 多数派) 自己否定 自分の生きてきた過程をまず徹底的に否定するところから革命的 な意識が生まれるとする考え方
自己批判 自分の思想・理論に忠実に生きるためには自分の行動・思想を 常に吟味し反省していくという行動様式。「総括」もほぼこの 意味だがそこに状況分析も入るか 造反有理 「反乱することには道理がある」という毛沢東の言葉で文化 大革命(全共闘運動に大きな影響)のスローガン 内ゲバ 運動が先鋭化する中で各セクト間の抗争やセクト内の抗争を マスコミがこう名付けた。 まだもう少しあるのですが、次回で触れることになると思いますので 今回はここまでに。
次の回は全共闘の話になりますが、その当時は当たり前に使われていた言葉
が今では全く使われない「死語」化していて、若い世代の人たちには私たち
が書くこうした文章はもう古典と同じ領域なのです。またそうした言葉を集
めてみると本文では伝えきれないあの時代の空気みたいなものもかえって伝
えることが出来るのではと思い今回急遽「全共闘用語集」を書くことにしま
した。
「デモ・集会」
アジる アジテーション(扇動)からの派生語。日大全共闘の秋田明大
氏はアジテーターとして有名。私のイメージはマイクを片手に
「本日ここにぃ~ 結集されたぁー学生諸君」という独特の節回
しで演説していた。 大衆団交 最初の頃は当局と学生集団の公開交渉の場であったが暴走し始め
当局の代表を軟禁したり、つるし上げたりした。
異議ナシ 賛成だという意思表示に使う。反対の時は「ナンセンス」
ジグザグデモ 体制への反発から違法である道路の両端まで使ってジグザグに 行進するデモ フランスデモ デモ隊の横列が手を繋ぎ、道路一杯に広がり歩くデモ
シュプレヒコール デモや集会の時に意思統一のために唱える掛け声。
「シュプレヒコール」「安保 粉砕!」と言う風に
ゲバ棒 ゲバはゲバルト(暴力)の略・角材。
ヘルメットを被り、タオルで口元を隠し、手にはゲバ棒という
スタイルで投石もしながら圧倒的な実力差のある機動隊に立ち向
かっていった。のちには火炎ビン、鉄パイプなども登場するが バリケード 運動の一環で建物を占拠する際に敵の侵入を防ぐ目的で机や椅子 を高く積み上げて 作った壁
東大闘争 登録医制度に反対する医学部の学生が無期限スト(授業 ボイコットなど)に突入して始まり、一年余りの攻防後、安田 講堂の落城で終わりを告げる。 日大闘争 国税局による調査より多額の使途不明金が発覚。これに日大生 の不満が爆発。「古田体制打倒」を掲げて全学部を巻き込んだ 大闘争に発展。全共闘運動の始まり。
「学生運動」 三派全学連 全学連は戦後すぐ結成されたが、60年安保の際に主流派 (ブント系)と反主流派(共産党系)に分裂。 1966年中核派・ブント・社青同解放派によって結成された組織。 その後も各セクト(派閥)による離散集合を繰り返す 他にも共産党系の民青、そして革マル派などの組織があった。 その他の学生集団としてノンセクト・ラジカル(無党派の過激派) ノン・ポリ(政治に無関心な層 多数派) 自己否定 自分の生きてきた過程をまず徹底的に否定するところから革命的 な意識が生まれるとする考え方
自己批判 自分の思想・理論に忠実に生きるためには自分の行動・思想を 常に吟味し反省していくという行動様式。「総括」もほぼこの 意味だがそこに状況分析も入るか 造反有理 「反乱することには道理がある」という毛沢東の言葉で文化 大革命(全共闘運動に大きな影響)のスローガン 内ゲバ 運動が先鋭化する中で各セクト間の抗争やセクト内の抗争を マスコミがこう名付けた。 まだもう少しあるのですが、次回で触れることになると思いますので 今回はここまでに。
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