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東大闘争とは

社会問題
10 /20 2018

はじめに

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 何度も繰り返し言っていますが、私はそこが全共闘の運動を考える時に外してはならない視点だと思いますので、以前言い忘れたことも少し付け加えながら確認しておきたいと思います。

私たちの世代は戦前の価値観を持ちながら戦前の軍国主義を全否定する形(全体主義には個人主義であり、権威の否定、平等の思想、そして個人の権利と自由等)で子供を育てなければいけなかった親の世代の元で戦後民主主義教育の第1期生として成長してきました。そして日本の社会も戦後の日本の混乱期から脱し、経済は高度成長を続け発展途上国から先進国へ一気に駆け上がってきました。その急成長故の歪や矛盾の解決する時間も考える余裕も持てず問題を中途半端にしたまま日本社会は68年を迎えました。そしてもう一方の私たちの世代も思春期に入り自分の存在理由を考え、世の中の矛盾や不合理なことに気づき始めます。急速な経済成長は頭脳優秀で従順な会社員を大量に必要としそれに合わせるように社会のシステムも変わりつつありました。受験戦争は激化し大学に求められることが変わり、大学の在り方・学生の存在理由が問われる時代になってきました。その時私たち団塊の世代が大学生だったわけです。それがあの全共闘運動を産み出したのだと考えています。

 

 

東大闘争

全共闘運動以前の学生運動では抗議の手段として授業放棄やデモぐらいにとどまっており大学当局が痛痒を感じるものではなかった。当時の東大の大学当局も医学部が登録医制度に反対する無期限ストに突入したときも楽観的な見通し持っていたと思います。しかし時代は移り変わっていました。67年の第1次羽田闘争でヘルメットにゲバ棒というスタイルで機動隊に立ち向かう学生達の出現は時代の変化(学生運動はより過激なる)を予見させるものでした。そんな事に興味も関心も無かった学校当局はこの登録医制度問題を巡る学生への不当処分を行い、それを発端として学生たちは抗議行動として安田講堂占拠、機動隊の導入でこれを排除したことが今度は他学部の学生達の反感を呼び、7学部が無期限ストに突入安田講堂前で7000人の集会を開催。そして大河内一男総長は大衆団交拒否。学生たちは再び安田講堂を占拠。講堂内集会において各学部の代表者や各党派の代表が集まり全学共闘会議が結成され、医学部不当処分撤回、機動隊導入の自己批判などの7項目の要求で闘争宣言

こうして既存の政党の下部組織でもなく、各党派のように思想の元に運動する組織でもなく、思想・信条は異なっていても「別個に立って共に敵を撃つ」という行動原理で全く新しい運動体が出現したのだ。その運動体を纏めていくためのスローガン的に語られたのが「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」という言葉なのでしょう。

各党派や既成政党はまず理論や思想、世界観があり、それを実現するための目標や工程、行動が決まりそのために運動体としての組織が必要す。組織の効率だけで云えば独裁体制が一番いいが、組織全体を維持していくためには個々の意見も反映させる間接民主主義をとる。個々が代議士一人を選び。その代議士が執行役員を選び、執行役員が方針を多数決で決めその多数決で決まったことにはその組織員は絶対に従わなければならないという暗黙のルールがあります。

それに対して「全共闘方式」では個々、各党派が個人の自由意思でこの運動に参加している側面を持つため、直接民主主義の方式を採らざるを得ず、相当な議論が必要だし、ある決定事項に自分の意思表示や自行動は由裁量ができる良さを持つ反面組織全体を考えると組織は常に崩壊する危機を内包しています。

そのような運動体を結束させ行動を維持していくためにはターゲットは何か、何を目指すのかの目的などをはっきり打ち出さないといけません。そして所謂理論武装して、行動はより過激な方向へと向かわざるを得なくなります。

前回「私たち全共闘世代の特徴として個人主義が尊重され、権威の否定は当たり前で長幼に関係なくみんな自由で平等であるべきだし、大人数いる団塊の世代の中では個人の主張を強く述べる事が大事でその理屈や議論することで民主的方法により勝ち残る術を身に着けてきた。」とのべました。東大生はエリート集団です。私たちが挫折した色んな出来事を簡単にクリアして人生順風満帆で東大に入学してきたと思います。そしてもう一方の大学当局の方も「大学の自治」「学問の自由」を盾に取り俗世間とは違った行動理念で戦後をやり過ごしてきました。自分たちが批判されることがあるはずがないとある意味で民主主義の理念を理解しようともしなかった戦前の古い体質がまだまだ残している最後の集団だったと思います。その両者がぶつかりあった。今までの人生に失望したりする事が無かった学生の方に「憧れて入学した東大が「民主主義のイロハ」のイも知らない」と大きな失望が広がって「だったらそんな大学なんて潰しちゃえ」となった部分も大いにあると思います。

「真理を追求する」べき大学で医学部の無期限ストライキがなぜ起こったのか、学生は何に怒りをぶつけているのか?知ろうともしない、まともに向き合わない姿勢や普段「大学の自治」重要性を説きながら学生達と話し合おうともせず、簡単に外部の力を借り解決しようとする姿勢を学生たちは糾弾した。東大の教授であるという特権的地位にあぐらをかき実は何もしてこなかった教授陣を痛烈に批判した。天皇制も含めて戦前のあらゆる権威を否定する戦後の民主主義の教育で育ってきた全共闘世代にはこういう権威主義者はどうしても許せなかった。そして「東京帝国大学解体」をスローガンにした。

それは明治以来営々と続いてきた東京大学の制度や精神の病理を告発し、解体して「人間」の復権を目指す新しい大学を創りだすはずだった。東京大学が持っている様々な欺瞞性を告発していく過程の中でその東大の一員であった内なる自分こそ告発されねばならないのではないか?それを乗り越えない限り運動の発展は望めないと「自己否定」する必要性がこの東大闘争のテーマになった。

東大闘争ではこの「大学解体」と「自己否定」のスローガンが登場して「大学問題」の枠を飛び越えて「学生と国家権力の戦い」という構図になってきた。それは元々結成当初から各党派が加わっていて政治色が濃い全共闘であったから「社会運動」より「政治闘争を」という流れになったのだと思います。大学当局の硬直した傲慢な姿勢に学生達は怒り、行動をより過激化させていったのだと思います。

 

今回はここまでにしておきたいと思います。申し訳ありません。自分が予想していたより話が長くなってきています。



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グッチー

昨年古希を迎えました。人生も終盤。学生時代の言葉で言えばそろそろ人生の「総括」と何か新しい自分を発見するためブログを始めました