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日大闘争とは

社会問題
10 /24 2018
日大闘争 
日大闘争は同じ全共闘と言っても東大闘争とはまた違います。またまた話が長くなってしまうのですが、色んな細かい部分を語らないと解って貰えないと思います。闘争の直接のきっかけは教授の裏口入学謝礼金の着服事件と国税局の調査による20億円以上に上る使途不明金が発覚したことが学生たちの疑惑と怒りを呼び、多くの学生たちを闘争に立ち上がり、そして学生運動史上最大・最強を謳われた日大全共闘が生み、その後の戦いの中でごく普通の学生が闘いの中心を担うようになっていった過程を色んな人たちが後日談として語っているのもこの運動の性格を表している。
当時の古田会頭のもと営利第一主義を方針として掲げ、大学という教育の場を利潤追求の場としてマスプロ教育を推し進め、学生たちは高い授業料を払わされ、劣悪な教育環境の中で大きな不満を抱えていた。その不満を抑え込むために自治を与えず、ビラや掲示や集会などは全て検閲制度とられ、憲法が保障する表現、言論、集会の自由が全くない状況のうえ更に何かあれば私兵暴力集団(体育会系、応援団)で抑え込む体制が完璧に出来上がっており古田会頭は「学生運動の無い唯一の大学だ」と豪語していた。
ところがこの使途不明金問題への学生の怒りは大きく、最初はサークル単位の討論会が学部単位の抗議集会へと集約され次第に広がりを見せていく。そして5月23日には偶発的だったようだが経済学部の集会で日大生が「偉大なる200mデモ」と呼んだ日大生としては初めてのデモが行われた。これが新聞報道されたことによって都内各地に散在している他学部の学生の知るところになり、25日大講堂前の集会には当局や体育会系の暴力的妨害を受けながら自然発生的に3000人の集会となりデモを行った。この二つの出来事が全日大生に大きな衝撃を与え、古田体制への反撃を決意させたのである。
そして5月27日初めて「全学総決起集会」が開かれ、「全理事総退陣」「経理の全面公開」「集会の自由」「不当処分の白紙撤回」など4つのスローガンを決め、日本大学全学共闘会議が結成されたと宣言はしたけれど、運動体としての組織はまだこれから創りあげる途中であった。その次の日から連日大衆団交要求集会を体育系学生による暴力的妨害に負傷者を出しながらも貫徹させ、この闘争のターニングポイントとなる6月11日を迎える。
6月11日の集会には学生課や右翼グループが校舎から学生を排除するため建物を封鎖した。その時中にいた右翼暴力団はビンを投げ、木刀を振り回し、学生たちに襲い掛かって来た。また別の所では4階から机、椅子、ロッカーなどが学生たち向かって投げたりしてあらゆる手を使って学生たちを排除しようとした。一方の全共闘の秋田議長は「暴力団から学園を奪い返し、民主化闘争を前進させよう」と『ストライキ宣言』を発表した。両者の攻防が膠着状態になった時、大学の要請を受けた機動隊が到着。学生たちは加害者の体育会系の学生を排除してくれると誤解し、拍手と歓声で迎えたが、機動隊は体育会系の学生の暴力行為を制止するどころか、被害者の学生達を規制し始めた。経済学部から追われた学生たちは法学部の校舎を占拠し、右翼暴力団の襲撃に備え急遽武装バリケードを構築した。
翌日全共闘は「我々は昨日の集会で圧倒的にスト権を確立し、直ちにストに突入した」と宣言した。これについて「大学本部前で秋田議長のストライキ宣言が発せられ、そこに集まった数千の学生に歓呼の声で迎えられた。これが大会であり「ストライキ決議」であった。この方式こそ「直接民主主義」だというのである。学生が個人として誰もが自由に参加し、討論し、決オ議し、それを自ら実行する。そういうあり方を主張している」と解説している。
一方バリケード・ストライキの方は翌日に経済学部を皮切りに各学部が次々にストライキに入り6月24日、医学部以外は全ての学部がストライキに入った。このバリケード・ストライキは今までの運動の成果であり、これからの運動の出発の拠点(所謂古田体制を拒否して日大を学生のための学園にするため)と位置づけられた。
この「バリケード・ストライキ闘争」の中で学生達が執拗に求めたのが「大衆団交」という事です。東大闘争の時にも要求項目に挙げられました。私たちの世代には当たり前の感覚なのですがどうもその感覚が上の世代には通じないようなのです。根本的な取り決めをするときは全ての学生と理事は同等の立場にあり、全学生と全理事が立ち合い、公開の場で直接的に行うのが原則である。(私の学校では「ボス交反対」と言っていましたが)民主主義の大原則個人の意見が述べられる場の保障・そのための情報は公開されなければならない。今までだと交渉事は双方から選ばれた代表団交渉し、その合意事項を持ち帰り大会で報告了承を得るというスタイルでした。それをしてはならないということです。それは学生側の代表者にも要求されました。
その感覚・考え方がどこでどう身に着けたものかわかりませんが、当時の今までそういうことは全部周囲の者たちが処理して守られてきた東大と日大の当局者は自分個人の力のみで大勢の学生に対処しなければならない大勢の目の前でさらし者されると恐怖を感じたと思います。


今回はここまでかな。あれもこれも言っておきたいと話がどんどんと長くなります。出来ればもう少しお付き合い下さい。

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グッチー

昨年古希を迎えました。人生も終盤。学生時代の言葉で言えばそろそろ人生の「総括」と何か新しい自分を発見するためブログを始めました