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質問状

社会問題
11 /18 2018

4、全共闘運動への質問状
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質問1、日本は高度成長期に入りこれから少し豊かで自由な生活ができそうだと実感しはじめた時代の学生達の叛乱。それまでは革命は貧困が産み出す様々な様相(独裁体制等)を一挙に覆し新しい社会を形成しようとする行為であるとするなら豊かな社会では革命は起こりえないのに、1968年にはフランスでも学生たちの叛乱が発火点になり、後に「5月革命」と称される全国民を巻き込んだ運動になっている。これは単なる偶然の一致なのか、意味のある共振現象を起こしたのか。

 

「私の見解」 ここは抽象的な言い方をするほど分かりやすくなると思いますのでそれで言うと「貧困からの脱出」と「平和な社会の建設」は人類共通の課題です。まず物質的な貧困の克服のために経済の発展が求められます。その経済の発展と共に豊かさも手に入れる訳ですが、経済発展に伴う歪みとして公害などが出てきます。日本では丁度この時ミナマタから始まる4大公害問題が社会的に注目を集めていた時期です。貧困から抜け出て生活にゆとりが出来ると人は精神的な豊かさを追求し始めます。個の成長過程では20歳頃が「自由とは何か」といったような抽象的な事も含めて色々と考える時期です。日本社会は戦後の混乱期の貧困を乗り越え一息ついて、周囲を見渡すと負の遺産である「公害」が目に入る。否が応でも「豊かさとは」と自問せざるを得ない。そして団塊の世代は20歳。親の世代が頑張って築き上げた戦後の時代の結果がこれか。これからの将来私たちはどう生きていけば良いのか。という問いかけの運動ではないでしょうか。だから戦後の民主主義

を含めて戦後を全否定することが必要となる。その批判の最右翼にいるのに自分がその批判や否定の対象になるはずがないと考えていて、周りの空気の変化を読もうともしなかったのが東大の当局者と日大の古田会頭です。それが事件を悪化させました。

質問2 どんな現象であれそれが出現する「因果関係」というものがあり新左翼と呼ばれる各セクトが既成政党である共産党を否定する形で生まれた過程やそのために過激的であるのも説明がつくのですが、この全共闘運動は前段の予兆や兆候が無くまさに突然出現しています。(寡聞にして私が単に知らないだけかも知りません)

「私の見解」私たちの世代はあらゆる「権威」を否定し、組織による束縛を嫌うというなんかどこかのドラマのナレーションに出てくるような性格がある。そのことから既成政党の権威を否定し、各セクトの束縛を嫌い第3の道が自然発生的に生まれたと解釈するしかないようです。ここで急に話を変えるようですが…「全共闘運動」の話をしてきた私のイメージは「全共闘運動」は月光仮面」である。若い人達は全く知らないでしょうが当時の子供たちを夢中にさせたヒーロー者の元祖でテーマソングをこの歳でも覚えています。川内康範作詞の出だしは「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。」で始まり、「疾風のように現れて疾風のように去ってゆく」「月光仮面は誰でしょう」

私の中では「全共闘」は何者かをいつも問い続けていたと思います。「どこの誰かは…で始まり、全共闘は何者でしょう」というモヤモヤ感があってどこかでスッキリと納得したい自分がいるのですが中々回答が見つかりません。

質問3 「疾風のように」突然に現れた全共闘運動は燎原の火の如くたちまち全国に広がりました。(これも全共闘を巡るナゼのひとつ。各セクトが組織の全力をあげても出来なかった自分たちの運動を全国に広めることをあっさり成功させてしまう)なのに実質2年ぐらいで運動は急に終わり告げる。「疾風の様に去ってゆく」何故。その当時の流行現象の一つ過ぎなかったのか。

「私の見解」 全共闘というのは学校の状況について同じ共通認識を持つ有志が集まり宣言すれば全共闘を名乗りあげる事が出来る点だ。組織の束縛を嫌い何よりも自由を最優先する私たちの世代のノンセクトラジカルな学生には自分の自由意思で運動にすぐ参加出来て行動できるのは魅力的であった。この自由とは逆に言えばいい加減であり、誰も責任を負わない体制でもあるわけです。運動が高揚しているときはそれいけとお祭り騒ぎになるのですが、守勢にまわると脆い。その点組織は組織の基盤となる思想があるのですから強い。

問4 「大衆団交」「全員参加の直接民主主義」という新しい風を起こしながらも政治運動としては未熟すぎるし、最終目的が何かはっきりしていない。東大闘争は「帝国大学解体」を叫ぶがその後のビジョンを示していない。日大闘争も然り。そのため次の戦略や戦術が立てられず目的が「バリ・ストをすること」に矮小化されてしまった。そしてこれだけ全国に広まった運動なのに継続されることも無く、現在に繋がる何を残したのか。ナゼ運動の思想や方法論などが継続されなかったのか。

「私の見解」 私も今だからこんな偉そうなことを言いますが、20歳そこそこ若者にそこまで要求するのは酷だろう。これが全共闘運動の限界だったのだろう。私としては「大衆団交」や「直接参加の民主主義」」が後2年ぐらい続いてこの方式が日本社会に認知されていたら今の日本よりはもう少しましな社会が出現していただろう。そのことを敏感に感じとったのが権力側だった。法をつくり、警察の警備力を向上させ一気に学生達を潰しにかかってきた。それに対して学生たちは初めから権力に玉砕するつもりだったのではないか。そこに若者たち特有の美学があって敢えて負けると解っていても闘ったのではないか。あのエリート集団の東大生が東大闘争で権力側に勝てると予想していたとは思えません。また当時高倉健さん主演のヤクザ映画が若者の支持を得ていました。吉田松陰の「かくすれば、かくなると知りながら、已むに已まれぬ大和魂」という心境だったのではないか。ここで派手に負けること=全共闘の敗北に意義を見出し、運動の流れの中で一点での対権力の戦いではなく、具体的で局所的な部分で国家と対峙する戦略に切り替わっていったのではないか。あるものは「エコロジー運動」へ、「マイノリティ運動」「フェミニズム運動」へと多様かつ継続できる運動に自然に切り替わっていったのではないか。。



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グッチー

昨年古希を迎えました。人生も終盤。学生時代の言葉で言えばそろそろ人生の「総括」と何か新しい自分を発見するためブログを始めました