ベトナムの闘い
社会問題ベトナム戦争とは
1968年頃は今振り返ると現代史的に見てターニングポイントとなった年であった。と言う認識が諸国ででは定着しつつあるようです。この1968年頃の世界の出来事をもう1度確認してみると、アメリカではキング牧師を中心とした黒人による人種差別撤廃闘争が活発化していく中で反戦の声をあげ、それが学生運動や広範な人々の反戦集会と繋がりベトナム反戦運動は大きな盛りあがりを見せていた。そのキング牧師の暗殺事件も起きている。フランスでも後に「5月革命」と呼ばれた運動の始まりなったとされる学生の叛乱が起きている。社会主義国でもソ連(1922年から1991年まで存在した国家「ソビエト社会主義共和国連邦」世界初の社会主義国として誕生)に批判的なチェコで「プラハの春」と呼ばれた民主化運動が起きている。ブラジルでは反政府運動、メキシコでは学生運動、中国の「文化大革命」、日本は「全共闘運動」・「ベトナム反戦運動」と現体制の変革を求める動きが起きている。
なぜこの時期に申し合わせたかのように変革を求める運動が起きたのか?
フランスの「5月革命」や日本の「全共闘運動」などの変革を求める運動には「人々の要求や願いに答えようとしない現体制への不満が地下の奥深くのマグマに溜めこまれ、臨界点に達している。」そこにそのマグマを爆発させる出来事が起き、一気に拡大する。
1968年のこの世界の運動をリンクさせたのが「ベトナム反戦運動」ではなかったのかと考えている。
ある人曰く同時代の人には何も言わなくてもその微妙な違いは理解できるが、後の世代にきちんと伝わっていない。例えば60年安保闘争の全学連と68年の全共闘運動の違い。そこをきちんと理解してないと結論は全く違ってくる。にも関わらず…。
という事でベトナム戦争を語るには戦後の東西冷戦から始めたいと思う。
第2次大戦前に植民地であった多くの地域が独立宣言をして新しい国造りをし始めた。(1945年ベトナム民主共和国 1946年フィリピン インド パキスタン 1948年ビルマ連邦〈現ミャンマー〉 大韓民国 朝鮮民主主義人民共和国 1949年インドネシア 中華人民共和国)その時多くの社会主義国家が誕生した。そしてソ連を中心とするグループと資本主義のアメリカを中心にしたグループに分かれて対立する構図が出来上がった。
そして1950年にはソ連や中国の支援を受けた北朝鮮が大韓民国へ突如侵略を開始し、朝鮮戦争が勃発し実質的な戦闘は1953年まで続いた。(「朝鮮休戦協定」締結 現在も休戦しているだけで戦闘状態にある) フランス領インドシナではベトナム民主共和国が独立宣言をしたがフランスはこれを認めず、1946年第1次インドシナ戦争が勃発。1954年にフランスが敗北したため、ベトナムは独立を果たすが、アメリカは共産主義の拡大を恐れ、ジュネーブ協定によって北緯17度で南部を分割し、アメリカが支援する軍事政権=ベトナム共和国を建国(1955年)した。ところがこの政権のジエム大統領一族による独裁化と圧政に南ベトナムの国民の反発を受け、反政府勢力が力をつけ内乱状態に突入していく。そして1959年北ベトナムは南ベトナムの武力解放を決定。1960年南ベトナム解放民族戦線が樹立され、本格的・大規模な内戦状態になる。
この後アメリカが本格的に介入してくるのですが、その時の話も結構な量になると思われますので今回はここまでで
〈注〉新左翼 マルクスレーニン主義では大衆や革命を指導する前衛となる党がすべてを指導する。ために前衛党は無謬な存在でなけれならない。日本では共産党がその位置になるのだが、それを否定して我々が前衛党であると宣言した党派
スポンサーサイト
コメント