私の歩み
社会問題今日のランキングを見たら思った以上に上位じゃないですか。嬉しいですね
で今回は私的な話を少ししなければなりません。よろしくお付き合いねがいます。
「団塊の世代」と同義語として「全共闘世代」という言葉が用いられますが、私は厳密に区別するべきだと考えています。そのへんを私のささやかな人生の歩みから述べていきたいと思っています。
とりあえずしばらくの間は団塊の世代という言葉を使っていきます。
団塊の世代の親たちはみんな戦争を経験した世代です。だから普通の日常の生活のふとした会話の中で「空襲を受けた」時の話や兵隊時代の苦労話とか聞かされたことがあると思います。言い換えればあの戦争について感覚的にしろ、間接的にしろ体験している最後の世代だと思います。そしてあたりまえの様に「きけわだつみのこえ」などを読んだ時代を経ています。だからそのこともあの70年安保闘争にも影響していたと思っています。
閑話休題 歴史好きには良く知られている話、あの「関ヶ原の戦い」で勝った徳川家康が天下を取り、敗軍の長州や薩摩が300年の時を経て徳川幕府を倒し明治維新を成し遂げる。当初「関ヶ原の戦い」で敗れた屈辱を忘れるなという事は当然語り継がれたはずです。それが300年後に… 誤解されるといけませんから念のために言っときますけど私は復讐劇を賛美している訳ではありません。語り継ぐことの大事さを強調したいのです。
そこで本論ですが、私の出身地はあの「やまびこ学校」に表現されているような全国どこにでもあるような林業を主産業とする山間地で父は生まれ育ちました。父は人の良い寡黙な人で所謂「親子の会話」なるものをした記憶がほとんどありません。父が志願兵として満洲で陸軍のパイロットとして勤務していた事ぐらいしかありません。どこで戦闘をして、地獄のような戦場生き残ってきたのか。また戦後の混乱期をどう乗り越えてきたのか。全く聞いていません。また親子だからこそ親として子供に自分の負の部分は見せたくなかったのかもしれません。この年齢になってみると次の世代にはこのことは是非伝えておきたいと思ったときに自分のことしか語れないのです。先人たちの思いが受け継いでない先ほどの閑話休題と逆の話になります。でもあの1970年代の事は今まで散々論じられ、語りつくされていて今更何を。
そこで思いついたのが「きけわだつみのこえ」方式。明日死ぬという事が判っている極限状況の中で将来を嘱望されたエリートの学生たちの個々の手記。初めて読んだときにその迫力に圧倒された記憶があります。あの1970年頃も社会が沸騰していた時代です。一人では何もできないけれど、一か所にそれぞれの手記を集約してみると面白い結果がでるかも…。で「隗より始めよ」という事でこのブログを立ち上げました。
それでは次に社会の動きがわかる様に私のコメントを入れながら簡単な年表を作って見ました。
1947年 義務教育スタート・日本国憲法施行(新しい国作りの始まりです。この年に東京地裁判
事栄養失調で死亡の記事ー法を守る立場の者がヤミ米を食べるわけにはいかないと拒否し
たそうです。)
1949年 下山事件(国鉄総裁が轢死体で発見され、当時ストが多発しており、自殺か他殺か議論
をよんだ事件。日本はまだまだ混乱状態が続く)
1950年 朝鮮戦争勃発(日本の敗戦からまだ5年。米ソ対立。この時日本は朝鮮戦争特需で潤い
日本の復興の足掛かりとなったと言われる。)
1951年 対日講和条約(48か国と。 ソ連は拒否)・日米安全保障条約調印
1953年 朝鮮休戦協定(現在もまだこの休戦状態のまま)
1954年 自衛隊発足(こうした流れを見てみると自衛隊が設置された理由がよくわかります。)
*はれて小学1年生
1955年 資料の記事では主婦に三種の神器(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)
(私の記憶ではもう少し後であったような、日本が少し豊かなり始めました。)
1956年 日ソ国交回復(知識人から「もはや戦後ではない」と)
1957年 国際連合に加盟(ようやく国際社会に復帰)
1959年 皇太子御成婚(このときテレビで実況放送を見た記憶があります。)
1960年 安保条約反対闘争(全国で560万人参加、5000組のデモ、国会デモで樺美智子さん死
亡。総理大臣岸信介は辞任)(この後「浅沼社会党委員長刺殺」事件も起き日本社会が騒
然とした年でした。当時中学1年生だった私は「なんかすごいことになっているなあ」ぐ
らいの感想しか持ちませんでした。)
1961年 ベルリンの壁 1962年キューバ危機(米ソ対立が深まり、この時は「戦争か」思うで 危 険な所まで)
今回はここまででおわります。
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